「秀吉と海賊大名」(藤田達生)
芸予諸島を根城にする海賊大名、能島村上氏、因島村上氏、来島村上氏の三氏の織豊時代から幕藩体制の確立期の動静を通して瀬戸内海の海賊たちの実態とその幕藩体制へ組み込まれる様を描く・・・
とはいえミクロにあたる三つの村上氏の流れも織豊政権期から幕藩体制期へのマクロの流れも両方を追うには中公新書一冊では難しかったか。
- 足利義昭が追放されてから京都の信長と鞆の義昭の二重政権状態が続いていたこと
- 信長の外交方針として秀吉―三好ラインと光秀―長宗我部ラインがせめぎ合っていたこと(最終的には秀吉ラインが勝利したこと)
- 秀吉の中国攻略期、中世大名のままでの存立を目指していた毛利氏の内情はボロボロであり中国大返しの秀吉を背後から攻めるどころではなかったこと
- 家康側近の藤堂高虎(今治)と豊臣恩顧大名の加藤嘉明(松山)の伊予国内でのバチバチがあったこと
などは面白い。
著者には中四国規模での戦国末期から江戸初期にかけての本を書いていただければよいかと。